Tuesday, February 5, 2013

近代科学の原点ーアリストテレスから科学革命まで

はじめに

 普段私たちが何気なく勉強したりテレビの教養番組なんかで触れる科学というものは、17世紀にそれまで支配的だった物理自然に対する見方を根本から変革し誕生した「近代科学(自然学、物理学)」というものです。

 この17世紀に誕生した近代科学以前の世界ではアリストテレスによって形成された「自然学」が主流でした。自然に対する原理的探求はアリストテレスより以前にあったものの、物理的自然について体系的学問として自然学を打ち立てたのはアリストテレスだったわけです。今でこそアリストテレスの自然学は古臭い感じがしますが、当時としては立派な学問だったし何よりも日常の知覚経験に即したものであったので強固なものだったわけであります。

 今回は、古代から17世紀までに圧倒的な影響を放っていた自然学の紹介と、近代科学の成立までをざっとまとめます。






アリストテレスの自然学と哲学


「よっしゃ今日は講義終わったらオール行くべ」

アリストテレスは知覚を重要視しました。
 まず「存在論」ですが、これは日常の知覚的世界において出会うものは全てある状況下で「この」という指示語で示されるものであるということです。日常で見るものは「この人」とか「この机」とかであって、「人間一般」とか「机一般」というものは我々の概念的理解以外にはどこにも存在しないということです(机や人が一つ一つ違うものであるということ)。

 次に「認識論」です。それは知覚に忠実に従ったもので、「初めに感覚のうちになかったものは知性の内にない」ということです。つまり我々の知識というものは全て感覚知覚によって生まれたものであって、知性というものは感覚の経験によるものでなければ白紙状態(タブラ・ラサ)ということです。

 次に「学問論」です。これで最後です。アリストテレスにおいては存在論と認識論にしたがっていろいろな学問が組織されるのですが、そこで中心的な概念の役割を果たすのが「類」の概念というものであります。人は様々なことを経験しますが、もろもろの事物の領域はそれらが感覚知覚上で果たす形態の多様性と類似性にしたがって分類されるという考えです。何が言いたいのかというと、アリストテレスの学問論では幾何学と算術では「類」が違うので共通の操作ができないというわけです。幾何学は線分や点などの連続量を扱いますが、算術は非連続量を扱うからダメなのです。つまり今は当たり前にやってる普遍数学というものがないのです。

 アリストテレスの自然学(物理学)は以上の3つに従って構成されます。この自然学では日常の知覚世界から帰結されることを原理にし、知覚世界に満ちた具体的な環境世界を記述するものであって、「抽象的数学」を軸とした構成という構想を否定します。

科学革命
 
 近代科学は以上のアリストテレスの体系を存在論、認識論、学問論において解体することで成立しました。それはルネサンスとかのお陰ではなくアリストテレスの存在論そのものの解体によってなされた文字通りの「科学革命」であったのです。

科学革命ーガリレオ

 科学革命を引き起こしたのがガリレオ(1564-1642)とデカルト(1596-1650)のお二人です。ガリレオのほうが歳上なので先に紹介します。ガリレオは学問的経歴をアリストテレス体系の影響の中始め、後にその体系に対する根本的な批判作業を経て、自らの科学を形成しました。


 ガリレオが当時支配的だったアリストテレスの自然学の影響から抜け出すことが出来たのは、16世紀後半から本格的に紹介され吸収されることになったアルキメデス(前286頃-前212)の科学の取得にありました。アルキメデスは「てこ」や「釣り合い」を扱う静力学の創始者であり、その問題について数学的定式化を提示した数学者であったわけです。これは数学が自然界の法則性を表現し、その現象を統御するという端的な一例でした。

 その後ガリレオは近代科学の原理的な方法論である「理想化」を生み出しました。問題を科学的に取り扱うためには、自然現象についての数学的分析は単なる抽象化ではなく、その本質的構造を明らかにするものであり、最初は省かれていた偶然的要因をあとでその本質的構造に付け加えることで現実の現象を構成すると主張したのです。その次は数学的論証の効力にも言及し、自然についての新しい知識を知覚経験とは別に論証によってもたらすこと可能にしました。

科学革命ーデカルト

 次はデカルトです。ガリレオは哲学者と言うよりは自然学者であり、アリストテレスの概念体系の全てを批判、改変するという点では不徹底でした。この点でアリストテレスの学問体系全てを解体し、その自然の基本概念をも排除してそれに代わる体系を打ち立てたのはデカルトでした。デカルトは当時欧州でも有数の学校でアリストテレスの学問体系を教えこまれ、新しい自然学を構築するためにはアリストテレスの学問体系の解体を基本概念から始めなければいけないという必要性を感じていたようです。
 
 デカルトは数学の秀才でした。彼は幾何学と代数とを対応づけ、その2つを画一的に扱うという「普遍数学」の構想を得ました。アリストテレスの学問論ではその2つは類が異なりますからそのあいだに原理的に共通の操作はありえないのですが、デカルトはそれを破ります。普遍数学の構想はもろもろの対象を普遍的対象によって画一的に扱おうという見地を与えることになりました。 

 彼は著作の「省察」などでアリストテレスの体系を解体し新しい自然学の基礎を設定しました。最終的にデカルトはアリストテレス自然学の基礎である経験論的認識論を排除し、人間精神は感覚や想像とは独立に働き、知性のうちに与えられている数学的対象という抽象観念にに従って物理対象の本質を究明する。という見地を得ようとしました。



形而上学☆

 しかしこれでは「なぜ人間が自分の知性のなかにある数学的対象の抽象的観念に従って立てる理論が、物理的自然に実際に対応するのか」の説明が出来ません。アリストテレスの自然学は知覚経験に基づいたもので、自然学が抽象で具体性を伴わない数学的対象によって構成されるとは原理的に考えられなかった。そこでデカルトは全能の神(キリスト教の神、いわゆるゴッド)の形而上学に訴え、「全能の神ならわれわれ人間が自分の知性によって理解できる数学的対象を、物理自然の中にその実在的構造を構成するものとして創造し設定しただろう」と考えました。これによって人間は知性の中にある数学的観念に従って、感覚経験に頼ることなく物理的自然の構造を理論的に究明できるようになったのですm9っ`Д´) ビシッ!!
 
終わり

 そんなこんなでデカルトは物理的対象の本質を、はっきりと「幾何学的延長」にあるとした。デカルトの自然学の体系によって、物理的自然全体を少数の自然法則と力学的要因によってのみ解明しようという力学的(機械論的)自然観が設定された!
 そして時代はニュートンに移っていく…!  to be continued...




追伸

 デカルトが形而上学を理屈合わせのために使ったみたいな書き方をしてしまったが、実際にはデカルトは熱心なキリスト教徒であり、昔の科学者と同じく自然を解明することは神の優れた仕事を理解することができるとワクワクしながら行なっていた。詳しくは渡辺正雄著の「科学者とキリスト教ーガリレイから現代まで」に詳しく書かれている。

もっと数学のこと書けたら良かった


2 comments:

online erectile dysfunction prescription said...

I am actually pleased to glance at this blog posts which carries tons of helpful information, thanks for providing these statistics.

ed meds said...

Hi to all, how is all, I think every one is getting more from this site, and your views are good in support of new people.